
フリーダイビングの歴史において初の100M潜水記録を生みだし、多くのダイバーから敬愛されてきたジャック・マイヨール氏。
2001年12月にジャック氏が他界した後、与那国海底遺跡の発見者であり、ジャックの良き友であった新嵩喜八郎氏がジャック氏を偲び、日本をこよなく愛した証として、日本での最後に潜水場所となった、与那国海底遺跡に、何か残るものをと思案したのがきっかけとなり、2002年に、「人面岩」と呼ばれるダイビングポイントの海底にプレーク(銘板)が設置されました。

この純銀のペンダントは、ジャックマイヨールがこよなく愛した与那国島海底、石舞台へ設置したプレークと同じデザインで作られました。ジャック・マイヨール氏を敬愛し、ジャックと同じく海をこよなく愛するダイバー達の、まさにメモリアルのアイテムとなっているペンダントです。
プレーク表面のデザインは、与那国海底に有る石舞台に設置されたプレークをそのまま縮小したものです。これは、ジャックの直筆サインと、彼が最も愛した与那国海底遺跡の人面岩を覗き込む姿がモチーフとなっています。


女優の高木沙耶さんもプレークを保持しています。
チェーン(50cm)着用
※売上金の一部はジャック・マイヨール氏の「ホモ・デルフィナス(イルカ人間/海の賢者)」の哲学に基づき、海の保全と彼がこよなく愛した与那国島海底遺跡・記念館設立の資金に役立てさせていただきます。
※※ ジャック・マイヨール・メモリアルプレークをお求めになられた方は、ジャック・マイヨール・フレンズとして登録することができます。 >> Jaques Memorial Shop 登録ページ
ジャックマイヨール メモリアルプレーク


© Photos by Shimabukuro
2003年3月、有志によって作成された海底プレークを原寸大の大きさで復刻したのが、このメモリアルプレーク(レプリカ版)です。
サイズは海底プレークの実寸サイズである56cm×35cm。この数字にはジャックにまつわる意味がこめられています。“56”はジャックが素潜りで100mを超す記録を打ち立てた時の年齢。また、“35”はジャックが神に召された12月23日(12+23=35)に由来しています。

レプリカをご購入いただくと、メモリアルプレーク(レプリカ)専用の木製フレームをもれなくサービスさせていただきます。流木をイメージした木の温かみが感じられるフレームです。
ジャックマイヨール
メモリアルプレーク・レプリカ
ジャック・マイヨール氏について

1927年4月1日、中国の上海(当時はフランス領)租界に生まれる。
1976年にスキンダイビング(No-limits Variable Weight)の種目で、世界で初めて水深−100mを越える記録を達成(生涯記録は1983年にうち立てた−105m)。
ライバルだったエンゾ・マイオルカ氏との記録へのチャレンジ劇は1988年、映画「グラン・ブルー(リュック・ベッソン監督作品)」のモデルになり、映画は世界的な大ヒットに。ジャック・マイヨール氏を一躍世の人に押し上げた。
ジャック・マイヨール氏と日本との関わりは意外に古く、ジャック氏が10歳の時に、佐賀県の唐津の海に潜ったことに始まる(すでにその時には10m以上は潜れたという)。そこで、ジャック氏はイルカと出会い、その後独自の潜水哲学「ホモ・デルフィナス(イルカ人間/海の賢者)」を提唱。
1970年には静岡県の伊豆半島沖で−76m(当時)を記録。その後、1995年頃からたびたび沖縄(与那国、慶良間)、館山、唐津、小笠原を中心に日本に訪れるようになる。
2001年12月23日、イタリア領エルバ島カローネの自宅にて、自らの命を絶つ。原因は未だに不明。享年74歳。
新嵩喜八郎(あらたけきはちろう)氏について

1947年沖縄県与那国町生まれ。 サーウェスヨナグニ、ホテル入り船代表。 与那国の草分け的ダイバー。与那国海底遺跡の発見者として知られる。 日本における故ジャック・マイヨールの良き理解者のひとりだった。
























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